芦辺浦2030年1月吉日 三味線通り

今回の滞在で企画制作した映像が完成しました。
これは三味線通りという行事の提案をしている映像となります。

壱岐市芦辺浦には、芦辺祭やちんちりがんがんと呼ばれる祭りがあります。この祭りは昔は地域住民による演劇があったり、今でも残されている船を家に入れて一晩過ごす風習があったりと特徴的な大がかりな要素がいくつもあります。そのような風習は時代と共に変化し、今に合う形で持続してきました。この祭のお囃子には三味線が入っており、これも特徴的だと言えます。他の地域ではあまり見ることがありません。昔。この祭囃子の存続のために、三味線教室が立ち上がったことがありました。当時は時々、街の通りから三味線の音が聞こえていたと聞きましたが現在は、その三味線教室はありません。街から聞こえる音は、きっと子ども達の成長や私たちの記憶にも影響を与えている事でしょう。 僕は「昔、三味線の音が聞こえていた。」という話を聞いたとき、 どんな街だったんだろうかと想像が膨らみました。僕も聞いてみたいと思いました。

今でもここの祭り囃子には三味線が入っています。地域の皆さんは祭りが始まる前には集まったりして練習をされているそうです。この映像に協力してくれた方々です。たくさん練習をされたことが分かる素晴らしい腕前です。

この映像タイトルは「芦辺浦 二〇三〇年一月吉日 三味線通り」となっています。もし仮に、このような提案が定着し、本当に三味線通りが現れるとしたら、時間が必要だということから十年後の日付を設定しました。地域の方が受け入れ、このプロジェクトの公共性を計るには時間が必要で、そのようなものは人々の生活の中から経験的に構築され、徐々に出来上がっていくものだと考えているからです。

この作品は、いわゆる通常の作品ではありません。僕は今回、作品ではなく提案という言い方で一般には説明をしています。とは言え、今回の僕の提案の仕方は、美術館で作品を見るときのように、一方的に見せられるという構造と、そこまで変わりません。リサーチし、あるお話を聞き、想像が膨らみ、アイデアが出て、撮影のお願いをし、撮影編集をし、個人的な創作活動の一貫としてこの映像が完成しました。そして、僕はこの出来上がった映像を通して、一方的に住民に提案をしています。そういう意味では、美術館で作品を見る事と、見る側の心境に大差はないと思います。しかし、いわゆる作品と違うのは、これが提案を含むことから、対象となった地域の方に対しては、この提案を受け入れるかどうかという選択肢が与えられている点で大きく違い、それは作品という意味が持つ一般的な印象とは全く違うものではないかと考えています。作者側の一方的な提案ですが、一方的な作品ではありません。

また、この二〇三〇という年は、二〇二〇年から十年の間に私たちの生活を改善し考え方を変化させなければ、地球は滅びてしまうだろうという予測を元に、国連によって出されているSDGs(持続可能な開発目標)にも関連のある年です。壱岐市ではこの取り組みを進めているため、比較的十年後を見据える視点というのは他所の地域と比べると定着していると思います。実際には、海の環境変化を目の当たりにすることにより、問題を身体感覚で理解するということのほうが大きいかもしれません。それは、ここ三年で海の藻が消え収穫物が変化してきているということが実際に起こっているからです。このことは漁師にとっては経済と直結することですが、実際には文化にも直結していると僕は考えます。例えば、大漁祈願のお祭りなどは今後環境の変化により収穫が少なくなり、漁師が減少していけば徐々に無くなるでしょう。そうなれば漁師街の多い壱岐の祭りは大幅に変更を余儀なくされるかもしれませんし、どんどん減少してしまうはずです。環境が変われば、生活の仕方が変わり、文化も形を変えざるおえなくなるのです。

文化全般も、自然環境の変化と同じように、気が付けば消えてなくなる。祭りなどは地域の根っこにあたる要素ではないでしょうか。藻がなくなれば、魚が消えるように、人々もいなくなると思うのです。二〇三〇年に本当に大事なことは何なんでしょうか。おそらく、持続可能な開発などと悠長なことを言っていられないほどの環境変化が実際来ると思いますが、その時私たちはどんな文化を持続変化させ、持つことができているのでしょうか。

「自然環境が変わり、生活が変わり、文化が変わる。」という最悪の順番をたどるシナリオはなるべく回避すべきだと僕は思います。それは、つまり経済の問題を言っています。この自然環境の部分には、経済環境が現在は当てはめられていると思うからです。ほとんどの場合、 「経済環境が変わり、生活が変わり、文化が変わる。」という順番で地方も世界も変化を迫られているからです。 経済中心の生活環境は、歴史上、現在の社会環境に現れているだけで、これからどうなるか分からないものです。そういう側面があるかもしれないことについて多数の人が認識をすべきだと僕は思います。地球の環境はこれから変わり、自然環境が変われば、経済環境も直接的間接的影響を受け、間違いなく変わります。僕は地球環境の持続という観点で考えるならば、文化→生活→環境という順番にシフトしていくべきだと思います。文化と環境は僕は繋がっていると考えていますが、現在の状況では、経済環境という観点ばかりで、全くその他の環境や文化と繋がっていませんし、様々な環境の条件が文化と繋がっていると考えられていないのではないでしょうか。僕は、SDGsの理念を本気で考え人類が動こうとするなら、まず第一に文化があり、それを守ったり更新したりすることが生活の一部になり、その結果、ある地域の環境が現れてくるというような、昔あったような順番で再考する動きがあるべきだと考えます。今の常識をまるっきり変更するような視点が少しずつでも芽生えてくればと思います。その中にテクノロジーとかいろいろがあることは、それはそれで良いと思いますし、活用すれば良いと思います。

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