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実は、昨日の「今日の」33は、途中までしか書けていない。
なので、ここに書き足す。

住民集会所での上映会の後、チリトリで食事。写真家のKさんのお話を聞く。たいへん面白い。作品のビジュアルが良いし、手法も面白い。ドルフィンマンになるにはどうするかということを考えてつくられているとのこと。やはり、何かに近づこうとする働きが芸術にはあるのだと、ここでも再確認した。

その後、 十三時くらいから、空と海で三味線音源を流させてもらう。 上映会前に行くと言っていたのだが、扉が閉まっており仕込むことができていなかったが、二階から延長コードだけを伸ばしてくれていたことに気が付いた。電話で確認。オーナーは福岡へ行くとのことで、かってにやって良いとのこと。ありがたい。ボリュームを下げ、一時間に十五分ほど流れる設定のCDをセットした。

十四時から博物館で「ことばのかたち」展のトーク。ご挨拶できなかったがCさんが来てくれていた。うれしい。福岡からHさんも。こうやって気にかけてくれる方がいると、たいへん背中を押される気持ちになる。

トーク自体は、かなり失敗したと思った。もう少し、焦点をしぼって話すべきだったと反省。ケーマゲヒンマゲのプランに至る話と、その方法。三味線通りの提案に至る流れと方法。の二つを上手く繋げて話すことができなかった。ここで日々書いているから、なんとでもなるだろうと思っていたのが甘かった。

自宅に戻り、上映会とトークで上手く喋れなかったところを補うように、「今日の」33を書く。その後、芦辺浦の数か所でQRコードのボードを置かせてもらっているのだが、その内容にも手を加えた。十九時からトークの打ち上げのような場があったのだが、この二つのテキストに手こずり、二十時半にトロルに到着した。

トロルには、書家のY氏がいた。グウさんの展示を見に来られていた。とても面白い話だし、自分の意見や作品をよく見せてくれる人だった。押しの強い方だと思った。ギャラリーに所属するアーティストというのは、やはりこういう人なんだなと思う。僕は、このケーマゲヒンマゲでは、やたらと意見を表明しているが、普段はこういうことはほとんどしない。特に東京に移ってからは、人前に出てもほとんど意見を述べることは皆無になってしまった。彼には、もっとPRして作品を売っていこうとの言葉をもらった。売るというのは、本当に難しいことだし、信用を得ることが販売に繋がるということや、ギャラリーに所属するということが一定の信用になるということは良く分かる。僕を押し出してくれる人がいるとすれば、芸術の機能を他者に近づくというキーワードで美術史自体を再定義しようとする心強い人がいなければ、今の現代美術の文脈だけでは説明できないのではないかと思う。確かに、ソーシャルエンゲージドアートとかなんとかとか、そういうもので説明もできるかもしれないが、僕は少し違うと思っている。例えば、このケーマゲヒンマゲをどう捉え価値づけし、売るのだろうか。そういうツワモノはおそらくいない。

酒を飲んだので、再びお世話になる。


ここまでは、「昨日の」であった。ここからが「今日の」


十時にグウさんの迎え。トロルへ。ハンバーグ定食に、壱岐牛ステーキが乗っていた!サービス!初めて食った!!Y氏は十四時の船で戻るとのことで、それまでずっとお話をしていた。美術の売買の話をいろいろと聞いた。ここには書かないが、いろいろである。

Y氏を芦辺港に送りに行き、その帰りに風力発電の風車の真下まで連れて来てくれた。かなりデカい。近づいて真下から見る事ができる場所だから、迫力があった。こんなにデカいものが風の力で動いているというのが信じられない。くるくる回り電力をつくっているようだが、電気の力で動いているようにしか見えなかった。

QRコードで読み込むページの修正。これで、最終案とし、作品の形になったと思う。これは芦辺浦用の提案だが、形を変えればある程度どこでも使える楽譜のような形態にもなったかもしれない。そういう意味で作品のようなものにはなっている。最初に書いている「三味線通り行事の仕方」という部分がそれにあたる。

しかし、これで良いのか悩ましい。

ひきとおしの例で 意味と形式の話を書いている。(※「今日の」33参照)このQRコード先のページにある「制作意図」に書かれていることが、ここでは意味であり、その意味を汲み取りながら三味線通りという形式にしている。この形式は「三味線通り行事の仕方」で具体的にし、どこでも誰でもできるルールのようなものとして示されている。僕は、どこでも誰でもと書いた。しかし、「制作意図」で書かれている内容は、全て芦辺浦や壱岐のことしか書いていない。そうすると、この形式を使い、別の場所でやった場合、意味が喪失することになる。

しかし同時に、この提案には、二つの意味が仕込まれている。一つは先の「制作意図」で、主に地域に対して考えられた意味。もう一つが「制作背景」となっている公共性の実現について考えるというものだ。この二つ目の意味を残しながら、この形式をどこでも試すということは可能かもしれない。

夜。ハコブネカフェへ。今回の滞在中では初めて来た。 いつ前を通っても開いていないと思っていたら、ここは十九時から深夜十二時までの営業だった。レゲエ祭や、音楽の話、壱岐の話、魚や環境の話などをした。帰りのバイクで、こうやって、いろいろなことについての情報交換ができるのは貴重なことだ。と思った。

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