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今日の予定。
明日で最終日。
片付けをしなくては。こんなにもスーツケースに入るのか不安。
ここのところ、あわただしくて、部屋が酷いことになっている。

まわしを購入したが、結局使っていないな……。荷物だけが莫大に増えていく。制作はいつもこうだ。それから、こういった地域芸術祭で制作するとき、関係性を構築するのには、お金を使うということが一番早い。なぜならコミュニケーションの場としてお店などは開かれているからだ。そのため、金も使いまくっている。このあたりのサポートと、この重要性の認識がなければ、芸術祭は今後続けないほうが良いのではないかとさえ思う。だから場所を借りることさえ難しくなる。

僕の創作中に出会った方々の全てが、貴重な出会いだったと思う。そしてそれは、まわしの購入のように残る。それは責任だ。もし仮に、今回提出した提案が受け入れられるとしたら、その責任は僕が請け負う。当然のことだし、そのつもりだ。しかし僕は帰る。

近くの実行委員もこの責任を引き受けなければ、距離的に物理的に難しい場面ばかりが出てくるだろう。僕はこの一年間の準備でも、かなりしんどい思いをしてきたが、今回の芸術祭うんぬんが終ってからも、これからもしばらく続いてゆく。そういうことが起こることを認識していないなら、辞めたほうがいい。表現に関わるということは、他者と関わるということであり、そうすれば責任というものが現れてくる場合がある。その責任を作家一人に負わせないということが、実行委員制度だ。キュレーターもしかり。芸術祭という表現方法は、作家個人では手に負えない範囲に拡大しており、チームとして動く必要があると感じる。そういうものに実際なっているし、なろうとしていると思う。そして今回のケーマゲヒンマゲはそういうふうにすべきものだった。


三島にも行ってみたかったが、、、、。行けないかな。
ポットにQRコードを持って行く。その他で掲示のお願いをしたほうが良い場所がないか聞いてみて、新しく制作する可能性もあり。

※この同じ投稿内で今日したこと、考えたことなどを夜0時までに追記しますので、よろしければチェックしてみて下さい!

※毎朝9時に今日の予定を発表。0時までに今日のまとめを投稿します。


芦辺浦でご挨拶。DVDやQRコード、説明の紙などを用意してKさん宅へ。このKさんにもたいへん助けてもらった。他者を受け入れたり、背中を押したりできるような、いつでもウェルカムな方と偶然出会うことができ、いろいろ実現したなと改めて思った。ご挨拶のあと外までお見送りしてもらい、玄関口に置いていた原付で行こうとしたら、全くエンジンがかからないということになってしまった。最近こういうことが多い。何度もキックをしている間に、お土産を購入しに行ってくれることになってしまい、申し訳ない感じになってしまった。 壱岐の島を二本も頂く!本当にありがたい。原付を押して、みなとやへ。途中Pさんが屋根の上?から声をかけてくれる。下の方でNさんが干物だったか、燻製だったかつくっている。あれは……。なんかよく分からない状況だったが、面白い絵。ポットでご挨拶。QRコードなど渡す。

その後、14時40分の船に間に合いそうだから、 三島へ行くことにした。

受付で、三島を歩いて回ろうと思ったらどのくらいかかるか聞いた。乗船を待っているお年寄りに聞いてもらうことになった。自転車か原付がいいよとのこと。原付は調子が悪いのでコワい。ついでにいくつか教えてもらった。

長島は坂道がけっこうある。原島は坂道が少なく平。大島と長島は橋で繋がっている。大島が一番大きく、人口も多い。大島の商店は一軒あったが去年なくなった。買い物は郷ノ浦でする。バリューイチヤマが港まで宅配してくれていた。それぞれの島にあった小学校は、大島に統合されている。児童四名に対し先生が六名とのこと。僕は「先生が多いから優秀な子になりますよ。」と言ったら、「競争がないけ、どうかねえ。」とのこと。

結局どのくらいで歩けるかは分からなかったが、14時40分の船で出発し大島に到着すると15時半で、こちらに戻ってくる最終便は16時となっていたから、大島の場合だと30分しか滞在できないということが分かった。それで、原島にした。原島だと到着から最終便までが一時間あるから、少しは良さそうだ。

それで原島はどんなところが見どころかを聞いた。特に何もないが、小学校が廃校になっていて、そこが玄海原発が壊れた際の避難所になっているとのこと。

フェリー乗船。

原島到着。船を降りる時に一緒に降りる人がいたから、小学校までは歩いたらどのくらいですかと聞いた。そしたら、その方も歩きだったみたいで一緒に行きますかということになった。すぐに後ろから声がかかり、今度は別の人が車に乗っていくか。と言っており乗せてもらう。声をかけた人の知人だったようだ。

車内では、いつ帰ってくるのか。お父さんが大変だ。回りも大変だ。病院には行ったのか。彼女を探すとかは今はどうでも良いから帰ってこい。などという話が始まる。この島は皆さん近いから、こういう感じなんだなと思った。すぐに小学校に到着。一人降りる。

運動場が荒れていて、時間が停まっていた。奥の方には新しい建物がある。放射能うんぬんの文字が。これがシェルターなのだなと確認。玄海原発が壊れたら壱岐島は30キロ圏内になるらしい。それで、こういった施設ができているようだ。

google mapで見てみて、一時間でぐるりと島を一周できそうな気がしたため、歩いた。

たいへん美しいという印象。まず違和感があるのが、道がキレイだということ。島民は少ないはずなのに、異様にきれいに手入れされている。どういうことだろうかと不思議に思った。これも国境離島のでお金が出ているのか?などと思いつつ歩く。途中水仙の花がたくさん咲いている。ここの水仙は自生しているらしい。いたるところに生えている。

後半は道ばかり撮っていた。
結局一時間で一周できた。

船の待合所に、小学生がつくったパンフレットがあった。もう一度ゆっくり来たいなと思った。


トロルで打ち上げ?のようなこと。グウさん、実行委員Kさんとお話。僕一人で飲んでいたから、内容は大丈夫だったろうか。めちゃくちゃ飲んだ。最後の夜もお世話になり、たいへん楽しい時間を過ごせた。車でシェアハウスへ送ってもらう。

五週間の滞在で、この原付だけ、ずーーーーっと付いてきてくれた。最後の写真撮影。

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