いい加減なことを言うことができる関係について

僕の脳はのんびりしており、人の話を聞いて答えるまでに、1日くらい時間が欲しい場合がよくあります。そのため、考えていることを喋ることが得意でないことに自覚的です。特に大勢の人が参加する会議のような場で発言することは、ためらわれます。いろいろな考えの人がいるということに配慮しなければならないということに加え、たくさんの人がいろいろな発言をするので、処理するには人数分×1日くらいの猶予が欲しくなってしまい、全く発言できないことが多々あります。

しかし、ときどき、そうでない関係の人もいます。飲み会の席などに、そうでない人がいる時は、言わないで良いことまで言ってしまい反省することがあり、翌日のみならず、長い間引きずることまであるほどです。脳で処理する前の発言とでも言いますか、ある判断や思索などを通さない形で発言することができる関係もあるということです。

正直であるというのは、この言い過ぎてしまう関係において現れるのだと思います。僕はそういう意味で言えば、状況によっては正直ではない。自分の考えを言うのに少し時間が必要ですので、その間で考えはあちらに行ったりこちらに行ったりしているのですから、何が僕の正直な意見なのか自分でも分からないということがあります。文章を書くことなどは、そういった風に考えれば、喋るよりかは時間に余裕があり、いくらか僕に向いていると思っているのですが、ゆっくり考えれる分、ここで書いていることが、正直な僕なのかは分かりません。

僕は作品制作をしたりするものですから、正直な僕が分からないことが場合によっては足をひっぱりはじめることがあります。そうは言っても、 性的な欲望を 正直にぶちまけるかのように制作に取り組むスタイルではないので、そういうことは滅多にありません。それでも、僕と違うスタイルに憧れのような気持ちを抱くことは時々あって、稀にペンキやスプレー缶などでよく分からないものを発散するように造ってしまうことはありました。

だけど僕はそういうことよりも、自分が考えているアイデアなどについて思索を試みているときや、分からないことに触れているときのほうが、より心地よいと感じるし、そういうことを大事にしたいと思っています。もし、そういう心地良さが、会議のような場所で起こったなら、僕は黙ることから始めるしかできません。だって僕は知らないことなのですから、あまり出しゃばったりできないじゃないですか。だけれど、このような心地よさを黙って受け入れることと矛盾するように、正直な関係というのがもう一つの大切にしたいこととしてあります。正直な関係というのは、正直な僕が登場できるということなので、僕はそんな心地よい分からないことを目の前にしたときでも、喋ってしまいます。

考えていることを正直に話すことができるというのは、相手の発言を処理し考えてから発言するのではなく、考えている途中の事を話すということです。途中の状態で話をするとは、分からないことを分からないままに話すということです。分からないことを分からないままに話すことができる関係が、正直になれる関係です。僕のこの直観は、おそらくそんなに間違ったことではなく、おおよその関係において正直な関係と言うのはこういうものだと、当たっていると直観します。

しかし、気を付けなくてはいけません。正直な僕の話方を理解してもらえていない関係において、こちらが正直に話をしてしまうと、偉く怒られたりする場合があります。なので、僕は家族や友人にしか、そのように振る舞わないと決めました。そんなことを決める僕は、全く正直ではない僕です。それにも関わらず、家族や親友に対してもモメてしまう場合があります。そういう時は、僕は特段失礼なことを言っているつもりもなく、創造的に正直に会話をしているだけのつもりでいるので、なぜ怒られたのか分からない気持ちになり、相手も相手でなぜ僕がそんなことを言うのか分からないような気持ちになっているのだろうと思います。いったんそういう状態になれば、正直に話すということは難しくなるものです。

分からないことを分からないままに、正直に、考えている途中のことを話せる時、僕は最も心地よく、脳が最大限に活動しているような気になります。実際、そういう時に限って良いアイデアというのは生まれてきたりするものなのです。なので、他人に迷惑をかけないように、自分の頭の中に2つの視点を創り出し、自分の頭の中だけで話をすることができれば、それ幸いとも言えるのですが、いかんせん僕はのんびりした脳しか持ち合わせていません。

最近、アインシュタインのドキュメンタリーを見ました。彼は、外を眺めたり物を観察したりしながら、頭の中で相対性理論などの歴史的な発明を次々に発表したそうです。どうやら自分の頭の中だけであれこれ議論を戦わせて、何かに到達するということは、ありそうなのですが、僕は、偉大な脳を持っていないというだけでなく、頭も遅く不勉強なところもあり、さらに、結局、けっこう友達が欲しかったりするんですね。そういう関係の中で正直に議論を戦わせて、成熟したアイデアを生みだしたいという欲望があったりするのです。

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