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午前10時~11時 Aカフェ(芦辺浦住民集会所)にて上映会。お声がけ頂き、たくさんの方にお越し頂くことができました。ありがたい。そして、いくつかのご意見や感想も頂くことができました。以下は、僕の説明不足を補う内容であり、より分かりにくくしてしまうかもしれないものであり、そして反省点でもあります。

この映像は、提案のために制作しました。これは、おもに地域の方を中心とした様々な人のお話を元に制作したものです。とはいえ、全ての人へ話を通して制作するということはできていませんし、そういうことが可能なのか分かりません。しかし、公共性を考えるのであれば、そういった方法もあったと思います。

制作のきっかけになったのは昔の話。今の話。未来の話。といくつもあります。

まず、昔の話。これについては映像でも簡単に触れています。昔、三味線教室があり、通りから音が漏れていたという話。それで、通りから音が聞こえていた時はどんな街だったんだろうか。僕も聞きたいな。と思ったということから提案しました。また生活の中から聞こえてくる音は人々の記憶にたいへん重要な要素だと思うので、それを一時的に再現するということは、悪い事ではないと思いました。

そして、現在の話。祭りの直前でないと練習できていないという話がありました。女性陣よりも男性陣のほうがギリギリで練習しているということも聞きました。それぞれ、仕事や子育てで忙しくされており、なかなか持続することは難しいのだと思いました。それで、練習をするきっかけにもなるし、ついでにその練習の音が行事になるなら良いのではないか。という視点からの提案でもありました。練習のきっかけづくりという意味合いがあり、これについてはたいへん大きなお世話なので、特に今日の上映会での話では触れていません。が、ここで書いてしまっている。

そして未来の話。これは二〇三〇年を目標に掲げているSDGsから来ています。基本的にSDGsというのは、現在の社会を批判しているものだと僕は思います。今のままでは地球はだめになりますよと批判をしています。批判というのは否定とは違い、批判によってより良くしようという視点です。僕は、国連の提案したSDGsは良いことを言っていると基本的には思っています。だけど、ここには文化の視点が入っていません。だから、今までの自由平等や世界平和のようにずっと実現できずにいる概念と変わらないものになるのではないかと思ったりします。以下でこのことについて、僕が壱岐に来て気づいた視点、変化した視点について触れます。

文化と芸術というのは、共犯的に壊し合うことで変化をし、持続していくという関係があります。しかし同時に文化には文化を守りたいと思わせる働きも持っていて、守りたいという心情と、それを壊すような芸術というのは、一般的にはそんなに親和性はないと考えます。なので、壱岐に来るまでの僕は、伝統文化はたいへん素晴らしいし、好きなのですが、それは現状肯定の機能であり、良い事ばかりではないという視点が基本的にはありました。僕はこの点について今回少し視点が変わってきたのです。それは、自然環境が変化してきているという話や魚が釣れなくなっているという話があったからでした。

郷土史を見ても、漁業は昔から収穫物が変わってきているようです。昔昔は、鯨ですし、その後はイワシ漁が盛んな時期があったそうです。バブル期くらいはアワビ漁やウニ漁が盛んでしたが、収穫量は減少傾向にあります。また 最近までは鰤がよく釣れていたそうですが、今年は釣れないなどという話も聞きます。 漁の形が変われば生活が変わるため、無くなっている祭りは昔からあるようです。例えば、昔の鯨漁の時期にあったハザシ唄も、伝わっておらず残っていない地域があります。

自然環境の変化に立ち向かうことを考えるとき、SDGsでは、今まで通り科学技術で対応し、新たな再生可能エネルギーなどを開発するという方法になるわけですが、それだけだと味気ない世界になりそうだなという予感が僕はします。

伝統文化と生活というのは、密接に繋がっていて、そうでなくなれば、伝統文化の本来の意味が消えていき、形式だけが残っていくという現象が起こってくると僕は考えるからです。例えば、壱岐のひきとおしなどは、その傾向にあるのではないかと僕は思います。昔は貴重な資源であった鶏を絞め、大切なお客に提供し、奥に通すという意味でしたが、貴重な資源だというふうに鶏を考える人がどれだけいるか今では分かりません。また、鶏を絞めるという手間と、そこからガラスープを取るために長時間煮込むという手間を考えても、儀式的な意味合いまで含まれるのではないかとさえ思うほどの工程があります。そう考えると、客人を奥に通すということは、現在のニュアンスと違うかもしれません。 伝統文化の残り方には、意味と形式の二つがあると思います。ひきとおしは、本来の意味はそのまま残ってはいませんが、味という形式は今でも残り続けていて、それが一つのアイデンティティや大切な記憶になっている人がいるだろうということは想像できます。なので、どんな場合でも意味が大事だと思っているわけではありません。しかし、仮に漁業がどんどん衰退したとしたら、港町にある大漁祈願の祭りはどうなるでしょうか。その時にどんな文化が残るのかを想像すると、形式だけが残るでしょう。形式はどんどん簡略化されます。なぜなら、そこに意味がなくなればなくなるほど、生活と切り離されていくからです。ひきとおしのように食べるものであれば残りやすいかもしれませんが。

そこで、僕は、文化を守ることによって、環境を守る視点というのもあるのではないかというふうなSDGsとは逆の視点もありえるのではないかと考えてみました。環境を守ることを基準に置くのではなく、文化を守ることに基準を置くこによって、逆に環境は守られると思います。しかしその場合は、小さなコミューンのような共同体になってしまい、経済環境は崩れてしまうというイメージです。。。。。。が。ちょっと、この話はまた今度にしよう。。。混乱してきた。。。読んでくれている方はもっとですよね。。。


とにかく過去現在未来のいくつかの視点があり、芦辺浦での三味線通りの行事を提案しました。それは、全て壱岐や芦辺で聞いたことが元になっています。

今日の集会所でご意見があった一つで印象的なのは、祭りと三味線通りの提案との関係についてでした。僕は、祭りというのが守られることによって持続するものだと知っていながら、そのことを少し甘く考えていたようです。つまり、この三味線通りによって、祭りを変えたいとか、何か別の要素を入れ込みたいとか、そういうけしからんことになっているのではないかと、思われるケースがあるということを勉強させてもらいました。僕は、現在も活発に行われている祭りを直接触れるようなプロジェクトはできないと最初から判断していました。それは、住民の伝統ですし僕が触ることは難しく、筋をどう通すか方法が分かりませんが、少なくとも、ここに住んで働き消防団に入るなど、徹底的に住民になるしかありません。僕は、祭りとは別のものとして、練習音という生活音に着目した行事を提案したのですが、しかし、三味線というのは、祭りの中でも重要なものだからこそ、祭りと一体化した提案として捉えられやすいということに思いあたりました。

また、このことから、僕は提案と言っておきながら、やはり、美術特融の作品化の働きを完全に消すことはできておらず、それは美術という枠組みの中でやっている以上しょうがない側面もあるのですが、説明の仕方として適切かどうか、反省点があるなと気が付かされました。

いくつかのご批判や、ご意見、また面白いと言ってくれたり、ありがとうと言ってくれる意見もあり、いずれもたいへんありがたい言葉をもらったなと思います。


過去の記事との繰り返しになりますが、考え中のことをできるだけそのまま、ここでは書いていますので、たいへん失礼なことになっていたりするかもしれません。しかし、逆に言えば、ここに書いていることは、しばらく考え続けることなので、最後は全く違う考えに変更されているという結末もあるかもしれません。関わりを持つことにより、自分一人では気づけないことに気づきを与えてもらい、そういったことを通して、少しずつアップデートしていけたらと思っています。今日の上映会は、僕の舌足らずと、何と言いますか、気の利かなさで、なかなか上手くやれていなかったなと反省するのですが、僕としては、とても励みになる出来事でした。

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