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今日は年末からお願いしていた三味線の音源と弾いている姿の収録だ!

朝。起きてすぐに再度絵コンテを確認。プラン通りだと、グリーンバックで収録し合成映像にする部分があったから、荷物に緑布を追加する。十時待ち合わせ。八時半頃には家を出る。撮影させてもらう方に、せめてものお礼の粗品を用意しておこうと思いイオンで透明の袋を購入。一時間前に到着して粗品や機材の準備等をする予定だったのだが、原付が突如動かなくなってしまう。約十分、何度もキックしエンジンをかけようするが、全くかかる気配がなく、このままだと遅刻しそうだと判断し、推して行くことにした。途中走ったりもする。結局十五分前くらいに集会所に到着することになったが、早く出ていたから不幸中の幸いだったなと思う。すでにCさんが到着していて三味線の練習をされていた。

到着して初めて住民集会所の中を確認したので、機材の準備をしながらどう撮影したらよいか考える。それから、一名でも撮影させてもらえたらありがたいと思っていたところを、想像していた以上の人数に協力して頂けるとのこと。たいへんありがたい気持ちになる。

しかし、現場で場所の様子と人数を把握してから、すぐにどう撮影するかを処理しなければならず、少々脳内が手間取ってしまい軽くパニくってしまった。今回のように協力を得て撮影させてもらうのは実は初めての経験で、思っていた以上に難しいと感じた。経験を積めば、映画監督的に注文を上手くできていたのかもしれないが、絵コンテ通りに撮影しようとすると、想定していたよりも撮影に時間がかかりそうだと思ってしまい、瞬時に大幅に変更することにした。映画撮影の現場などだと、何十テイクと同じシーンを撮り直すが、そういうお願いをするのは気が引けてしまい、二回演奏をお願いして終えた。結局グリーンバックは使用しなかったので、絵コンテとは違う方法で編集しなければならない。

午後。部屋に戻り撮影素材の確認。編集。思っていたよりも曲が長かったので、どういう形にしていくか考えなければならない。できれば一分程度のものに仕上げたいと思っているが、どうするかな… 時間が限られていて、協力をしてもらい撮影をするケースでは、最初のイメージを大事にして撮影すべきだと知る。良い経験となった。どうにか良いものに仕上げたい。


今回撮影が実現できたのは、年末年始の忙しい時期に僕のお願いを聞き入れてくれたCさんのおかげだった。場所の確保や人への連絡、日程調整までもをやって頂くことになってしまった。集まってくれた方の中には以前お話を伺った三名のおばちゃんも来てくれていた。大変ありがたい。生まれて初めて生で聞いた三味線に感激すると共に、感謝でいっぱいだ。地域で行う制作というのは、いつもこうした人達に助けられることで成立する。いくつかある僕の手法の中でも、今回のような制作方法は、お願いを重ねたり提案をし続けることでしか進まない。場合によってはたいへん厄介な人だと思われるだけで終わりかねないところを、こうして助けてくれる方がいたことは、本当に恵まれたなと感謝の気持ちになる。思えば以前制作した、長崎の伊王島でのプロジェクトや、中国でのプロジェクトなども、同じように人に恵まれてできた作品だった。

僕はこういった制作について、「他者にどうやって近づくことができるのか、近づけないのかを考えている」とトークで言ったことがある。それに対して、それをどうやって芸術として説明しているのかと聞かれたことがある。海外の方だったので、僕の言語能力のせいで、その意図ははっきりと分からないのだけど、おそらく、どういうカテゴリーの文脈であなたの作品を説明するのですか?という質問だった。

対象に近づこうとするのが、美術の性質だと僕は考えている。今回僕が近づこうとしているのは、公共性とは何か、芸術とは何かといったダサい問いに対する答えに近づこうとするものだし、壱岐そのものに近づこうとするものだ。これらを美学的に説明できるようにせねばならないのだろうが、勉強不足の僕では、なかなか一筋縄にいきそうにない。誰か頭の良い人の知恵を借りたい…。(複数の力が合わさることで様々な状況が変化する!)僕は、関係性や敵対性を使い、現在に直接繋がるようなことを志向しているわけではない。見たことがない過去とか、知ることができない他者の考えや視点とか、見ることができない先のこととか、そういうことを想像してみたいと考えている。だから、昨今の社会的なアートと僕とは少し違うと考えている。

これを例えば、分かりやすく/より分かりにくく、例で示してみようとすると恋愛などは近いように思う。恋愛はだいたい、相手のことを知りたいと思うことから始まると思う。それは相手/対象に近づこうとすることと同じだ。そしてそのためには普通、表現を必要とする。表現したことに対する相手の反応によって、また違う言い方で表現をするということを繰り返す。僕はこのことと、先に書いた僕の芸術とは関係していると思う。そして近づけない他者の存在に気が付かされ、打ちのめされる。こういった繰り返しが大事なことだと思っている。

恋愛などだと、普通一般の人間の営みとして脈々と続いてきたことだが、これこそが芸術がしてきたことの一部ではないか。例えば、ある憧れの絵描きのような素晴らしい作品を創りたい。もっと良い絵を描きたい。などという欲望は、常に他者に近づこうとする行為と同じだったのではないか……


夕方。郷ノ浦の温泉へ。コラーゲンが入ったいろいろが充実しており、とりあえず全て試す。帰りに刺身など購入。

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