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朝一で、シェアハウスの人に郷ノ浦に連れて行ってもらい、原付をとりにいく。トロルに寄れたらと思っていたが、オープン前に到着したから、すぐに部屋に戻った。昨日は飲み過ぎたなと思っているところ、昨日飲んだJAの方から電話。ひきとおしのことを相談していたから、たまご屋さんに話をしてくれて、電話番号を教えてくれた。たまご屋さんに電話。一月にインタビューをしてもらえないか相談。その後、二名にインタビューのオファー。昨日撮影していた映像を編集。「ケーマゲヒンマゲして考えたこと」など更新。など。
夜。そのような作業をしていたら、「今日はクリスマスですよ」とのことで、シェアハウスのダイニングがクリスマスの雰囲気になっていた。いろいろとお話を聞いたが、皆さん、何かの会社をやっていたり、書籍を出していたり、経験豊富な方ばかりで、アート界隈の貧乏話しとは全く違う会話で楽しんだ。
このシェアハウスは、壱岐市とも関係している建物で、移住促進のための建物らしい。そのため、利用者の大半は、壱岐市の委託などで、壱岐のプロモーションやIT技術を使った事業などを起こすために来られている。この、しまの芸術祭も、一応、長崎県や壱岐市の事業ではあるが、なぜ、このプロジェクトはこんなにも貧乏なんだろうかと疑問さえわくようなお話ばかりであった。僕はこのプロジェクトのために、四月から動いていて、合計で十か月はこのプロジェクトのために気を病むことをしてきたのだが、まあ、その、毎月の給料が出ているわけもなく、本当に雀の涙ほどで、はっきり言えば、経済的にはマイナスなわけです。赤字というやつですね。それが、月に二十万は安すぎるとか、あの人はうん千万の年収だとか、同じ市関係の仕事で、こんなにも違うのかと、全く落胆するしかないなと。笑いさえ起こりそうなものです。もう少し考えてもらいたいものですが、文化というのが、全く重要視されていない、公共の利益にならないものであるという、そういうことだろうなと。観光への利用価値があるとなれば、もう少し予算がつくんでしょうが、まあ、そんなことは、あまり考えていないんだろうな。まあ、本当にどうでも良いことだ。日本は、こういうところが弱さなんだろうな。と負け惜しみを言ってみる。
アートは使い捨てで、搾取ばかりが行われているので、本当に、おじさんしんどいです。なんなんだろうね。まったく。俺は何をやってんだか。こんなに壱岐のことを考えて、いろいろ提案しようとしているのが、バカらしく思えてくる。といったところです。が。まあ。やりますよ。いつだって過去最高のつもりで。表現というのは、責任なので。