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午前。いくつかの記事の微調整。文章を書きまくるということは、本当に恥ずかしいことだと改めて思う。

今日はたいへん天気がよく、雲も少なくキレイな空。

晴れの日に改めて街の映像を撮影しておきたかったので午後から芦辺浦へ。今回はブラックマジックで撮影。映画のようなテイストにしたい。街で撮影していると、芦辺のいろいろを教えてもらっている懇会のKさんとばったり。三味線の音をとらせてくれる人を探していると、改めて依頼。快い回答を頂いたので、しばらく返事を待つつもり。年内にお知らせできたらなと思うが、どうなるのだろうか。

午後四時ころ、郷ノ浦へ。小金丸幾久記念館でグウナカヤマ氏の展示を鑑賞。本人も会場におり、書について聞かせてもらう。「途中で気にいらなかったらどんどん会場の作品を変えていく」とおっしゃっていたので、会期中に数回足を運ぶ楽しみもある。会場には、作家のコメントや、企画者のコメントもあるので、それもぜひ見てもらいたい。彼の作品は絵とも書とも言える立ち位置なので、何が絵で、何が書かを聞くチャンスだった。ガレージ精神でやろうとしていることに好感を持った。これからも、もっとそれを言葉として、文字として、書として示して欲しいと思った。僕の参加している「ことばのかたち」展は、三会場に分かれている。そのうちの一つが、このグウ・ナカヤマ会場だ。実はスタンプラリーも実施しており、三会場分集めると、何かもらえたりするらしい。個人的には壱岐牛が食いたい。(※「ことばのかたち」展についてはインタビュー「花田伸一」で触れています。)

グウ・ナカヤマ 会場情報
2019年12月23日(月)から2020年1月19日(日)
9時から17時(入館は16時半まで)
小金丸幾久記念館2階 アートギャラリー
※12月29日(日)から1月5日(日)は休館
年末年始は休館なのでお気をつけ下さい。

僕は、美術をしているが、絵が最も難しいジャンルだと思っていて、いつかは、絵描きになれたらと思うが、かなり難しいことだろう。絵というのは、誰でも描くことができ、かといって、誰でも描くことはできない。僕にとって絵とは、絵ではない絵を描こうとすることが絵だと考えている。絵は描ける。だが、それはほとんどの場合絵ではないのだ。絵とは誰かのために描くもので、そして、その時に奇跡的に絵ではない絵になるのではないかと、僕は考えている。絵は手紙のようなものだと僕は考えている。自分のために描くものではない。それが絵だと思っている。僕も絵を描きたい。一応、今のところ僕が考えた絵についてを作品とした、「見たことがない絵」というシリーズがある。これが絵なのかどうか、たいへん難しいところだが、いつか絵になったらなと考えている。(※見たことがない絵)

トロルで待ち合わせ。郷ノ浦界隈の若手の動きを聞くことができた。これも面白い。花火大会の復活の話をちらりと聞いた。酒を飲んだので、シェアハウスまで送って頂く。飲みすぎた。しんどくて途中外で転がっていた。帰れてありがたい。

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3件のフィードバック

  1. 寺江さん。いい文章を読ませてもらいました。僕がかつて初めて3号倉庫で見た寺江さんの作品は「絵」だったと記憶しています。それからあなたは段々と絵画という形式で作品を発表することから離れていったと理解しています。
    でも「絵」に対するこの文章に、僕は大変共感します。寺江さんの「絵ではない絵を描こうとすることが絵だと」という考えは、僕がいう「絵画とは絵画ならざるものが絵画になったもの」だという考えとも近いのかも知れません。
    僕などは絵描きになろうとは思ってはいませんが、寺江さんが「いつかは絵描きになれたら思う」というのは、いいなあと思います。それまでの迂路もまた険しながら、くれぐれもご自愛のほど。

    • コメントありがとうございます。なかなか大変なことに手をつけてしまっているなと思っています。全くもって、この活動が作品なのかどうかも怪しく、どうすれば良いのかもはっきりと分からず、手探りのままの状態をそのまま文字にしてみてます。あまり、期待できないですが、少しづつ何かが現れてきたらなと思ってます。

  2. ご返事ありがとうございます。たとえそれが活動であれ作品であろうと、また美術であれ芸術であったとしても詰まるところ、いつかはどこかで〈倫理〉と対峙することになるはずです。だから「手探り」しかないのでしょうね。しんどくても、頑張ってください。

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