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朝7時起床。気持ちの良い朝。いつもより美しく見える街。たぶん昨日のことが関係しているのだな。と思う。

帰宅。Hさんも同乗したいむね伝え、了解を得る。今日は「島の道を全て知っている」と言うFさんの道案内によって島を回るというツアーに参加することになっていた。先日、郷ノ浦で飲み過ぎたときに、そういう話になった。僕は飲み過ぎていて忘れていたが、今日が良いと言ったのは僕だったそうだ。

九時。シェアハウスのYさんの車で出発。

さっそく深江田原の平野に霧が出ていて、写真を撮影するために少し高い場所の神社へ。シェアハウスの氏神だとYさんに教えてもらった。この平野は辻の原遺跡があるところだ。長崎で二番目に広い平野らしい。横に長い不思議な霧が見えた。

郷ノ浦でHさんをピックアップ。芦辺で道案内をしてくれるFさんピックアップ。運転してくれるYさん。僕の四人で回る。

小島神社がある小島が見える。僕は芦辺浦に行く時にいつも見ていたのだが、これが小島神社だとは気が付いていなかった。潮の満ち引きで道が現れる神社で、人気の観光スポットになっている。

左京鼻。壱岐には、壱岐対馬国定公園に指定されている場所がいくつもあるのだが、ここもその一つ。美しく整備されているが、断崖なのに柵がなく、うっかり酔っぱらって見とれると簡単に落ちて死んでしまいそう、などと思う。奥の方に赤い鳥居の小さな社が一つあった。一人おじさんが居りご挨拶。「どこからですか?」「東京です。」「私も蒲田におった。國學院という大学に行っちょった。」うんぬん。國學院は神道を学ぶ学科がある。昔、興味があり受験案内を取り寄せたことがあり知っていた。見た目は普通の地域のおじさんで、全くそういう風に見えないのだが、國學院で壱岐ということは、宮司なんじゃないかと思い尋ねた。ごにょごにょっとなった。こういう小さな社を掃除している人はたまにいるから、近くの地域の人なんだろうと、その場を離れて停車している方へ移動。おじさんも近くに車を停めており、僕達が車に乗ろうとしている所に、いくつかの冊子を渡しに来た。渡された冊子には、全く違う印象で写っている袴を着たおじさんが写っている。 「わ。やっぱり宮司さんなんだ。」と言ったが。ごにょごにょっと言っている。 前を行くおじさんの車。後ろを行く僕達の車が走り出す。走り出したが、すぐにおじさんの車が停車し、また何やら差し出してきた。名刺だった。どうやら、さっきの小島神社の関係の方のようで、随分役職が付いている。偉い方のようだった。今度連絡してみよう。不思議な出会いだなと思った。

他に古墳二つ。Fさんの職場。壱岐神社付近。岳の辻。Fさんの言う壱岐のソールフード。ビーチ三か所。等を見学。ぐるりと回り盛りだくさんであった。

ただの観光じゃないか。という感じではあるが、実際にはそれぞれの仕事上のいくつかの思惑が見え隠れしていた。僕はだいたい頭が遅く、「いつどこで何を」などと正確に提案することに慣れていないから、ごにょごにょっとなるのだが、Yさんは、たいへん頭の切れる人で、なんでも素早い。僕にはマネができないし、性格的にしたいとも思わないのだけど、提案したことを実現する能力が高く関心する。このドライブもYさんの素早さによって実現していた。 道中もいろいろな提案をしている。なるほどなあ。と面白く観察していた。

帰宅後、Yさんと、お正月の食材なんかについての話になる。じゃあ行こう!とやはり素早い。一緒に買い物に出かけ、正月用のいくつかをイオンで購入。僕でさえ正月の準備をしているのだから、皆さん来られており、たいへん賑わっている。

夕方。Sさんより連絡。三味線のあれこれをとりまとめて頂いた。僕のごにょごにょした提案の仕方で、随分と困惑と面倒くささを感じさせていたのではないかと思う。僕はハッキリとした仕方で提案やお願いをすることが苦手で、にも関わらず、いつもいろいろな人に世話になりながら制作している。なので、ありがたいことだと、毎回感謝の気持ちになる。

そんなのは、ただの面倒臭い人だと思われるだろうが、その面倒くさい言い訳を一応してみたい。

まず第一に、僕が面白いと思うことを、人も面白いと思うはずだ、などと全く思わないからだし、どうにかしてその気持ちを全ての人に伝えたい、などとも思えないからだ。美的な判断とは、そういう種類のものだと僕は思う。第二に、それを押し付けたり、そう思い込ませたり、相手を納得させ、こちらの思いに誘導するような提案の仕方というのが、コミュニケーションの技術と思われていそうだが、僕はそうは思わない。

【PR】[名](スル)《public relations》

  •  官庁・団体・企業などが、みずからの望ましいイメージおよびその施策や事業内容・主義主張などについて多くの人々に知らせて理解や協力を求める組織的活動。
  •  広告。宣伝。「新製品をPRする」

PRと言うのは、望ましいイメージを相手に与え、理解や協力を求める。ということなので、企業などでは、これこそコミュニケーションの技術だと思われていそうだし、こういう能力を持った人が優秀だとされるのだろうが、僕は、そんな考えしか持てなくなるようなら、改めたほうが良いと思っている。そういう人がいるのは構わないし、良いが、それが良いコミュニケーションだという前提で回る社会というのは、暴力や格差を生むに決まっているから、別の仕方を考えたいと僕は思う。つまり齟齬のあるコミュニケーションが大事なんじゃないか。という勘だ。

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