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部屋に戻ると、共有スペースのテーブルに、「すごい人ほどダメだった!失敗図鑑」という本を誰かが置き忘れていた。このタイトルに、一瞬、勇気づけられる。中身は、よく分からないが、失敗はどんどんしろ、だけど失敗からどのように学びに繋げるかはちゃんと考えろ。というようなことが書かれているっぽい。たぶん……

失敗に失敗を重ね続ける事ばかりを相手に創作活動を続けている身としては、失敗をすることが芸術なのではないかとさえ思うに至り、かといって、たまには褒められたいし、上手くいかなさ過ぎて、本気でへこむ場合もある。立ち直れないほどにへこみ、もう辞めたいとまで思うこともある。夜眠れなくなったり、朝方変な夢を見るようにまでなる。悪いことばかりが連想され、一日中どうしょうもないことになる。そういう時は、例えば、焼き鳥屋から出てくる煙などを見ても、悪いことを考え始める。従業員は、きっと安い給料で働らかせられ、挙げ句の果に焼き鳥を焼く煙を吸いすぎて肺がどうにかなって、訴訟問題になるのだとか、煙によって歩行者の食欲を誘い、いらぬ金を使わせようとする悪質な企みだとか、煙を吸う不特定の人々の中にはお金に困っている人がいるかもしれず、その人達に社会の非情さを感じさせているかもしれないだとか、本当にそんなふうなことを考え始めることになり、何もかもが悪い事のように見えてくることがあるのだ。昨日の夜、いくつも出してきた実現していないドリームプランだけを展示するというような案が、企画者の花田氏から出た。「失敗図鑑」を見たとき、なんとなく同じようなニュアンスもあり、一瞬「おー。」っとなった。しかし、失敗から学ぶことはできたとしても、 ただの人が失敗したら、ただ落ち込むだけで、なかなか立ち直れなくなってしまうのだから、失敗をどんどんしろなどと、気楽なことを書き、悩む人々にキャッチーな言葉で誘引し購入させ、失敗したらしたで立ち直れず死にいたるケースもあるかもしれない。などと……また悪いことを考え始めているではないか!

夕方から、Sさんに芦部浦での食事会に誘って頂いた。たいへんありがたい。誘われるというのは、とても嬉しいことだと改めて思う。僕もたくさん誘うことができる人になりたいと思った。失敗を救うのは、ある種の誘いやコミュニケーションなのかもしれない。失敗から成功を掴むことで救われることもあるだろうが、多くの場合はそうではないし、僕もなるべく心を開き誘うことで、お互いに何らかの救いのような効果を得ることもあるかもしれない。

食事会では、マンガやイラストなどの仕事をされている方のお話を伺った。とても魅力的な方だと思う。近所にこういう人がいたら、子どもたちはとても面白おかしい不思議な経験ができるに違いない。昔、造形屋とか着ぐるみ屋でバイトしていたときも、そういう雰囲気があった。子どもたちが、興味深そうに遠くから覗いていた。覗いていたが、こちら側に来るにはどうして良いか分からないといった雰囲気だった。人と人が出会うのは偶然だが、誰かが仕掛けをつくることによって、その出会いをデザインすることもできるのだなと知る。

今日も外で飲んでしまい、昨日に引き続き、人にお世話になる。ありがたい。僕は小さい頃母親に、「友達を家に連れてくるな」と言われていたので、必然的に友達の家に泊まるとか、遊びに行くということも少なくなった。それで、家をオープンな雰囲気にするということにはずっと憧れがある。僕のような、ほとんど怪しい面倒くさい見知らぬ男を、家に招き泊めてくれるというのは、信じられぬことだ。見習いたい。それから、オシャレな生活というのは、とても心に良さそうだな。余裕が生まれそうだな。などと思いつつ床につく。

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